大阪地方裁判所 平成4年(ワ)9628号 判決 1993年6月22日
原告
岸本照子
ほか二名
被告
奥村広樹
ほか一名
主文
一 被告は、原告岸本照子に対し、一〇八六万一二〇九円及びうち九八六万一二〇九円に対する平成三年一二月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告岸本義輝、同阿部明美に対し、各五四三万〇六〇四円及びうち各四九三万〇六〇四円に対する平成三年一二月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
五 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、連帯して原告岸本照子に対し、一八〇六万八八〇四円及びうち一六五六万八八〇四円に対する平成三年一二月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告岸本義輝に対し、九〇三万四四〇二円及びうち八二八万四四〇二円に対する平成三年一二月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告阿部明美に対し、九〇三万四四〇二円及びうち八二八万四四〇二円に対する平成三年一二月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二事案の概要
普通貨物自動車が同方向に向かい進行していた自転車を跳ね、その運転者を死亡させた事故に関し、右被害者の遺族が右自動車の運転者及び保有者を相手に損害賠償を求め提訴した事案である。
一 争いのない事実等(証拠摘示のない事実は、争いのない事実である。)
1 事故の発生
次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した(甲第一号証、乙第三、第四号証)。
(一) 日時 平成三年一二月二八日午前六時一五分ころ
(二) 場所 大阪府高槻市番田一丁目二〇番二号先淀川右岸堤防上道路(以下「本件事故現場」という。)
(三) 被害者 岸本義一(昭和四年二月二〇日生まれ、以下「義一」という。)運転の自転車(以下「原告車」という。)
(四) 事故車 被告株式会社やまさ(以下「被告会社」という。)が保有し、かつ、同奥村広樹(以下「被告奥村」という。)が運転していた普通貨物自動車(京都四六つ三一〇七号、以下「被告車」という。)
(五) 事故態様 被告車が同方向に向かい進行していた原告車を跳ね、義一を死亡させたもの
2 責任原因
本件事故により発生した損害賠償責任に関し、被告奥村は、被告車の運転者として、過失による不法行為に基づく損害賠償責任があり、被告会社は、同車の所有者として、運行供用者としての損害賠償責任がある。
3 相続
原告岸本照子(以下「照子」という。)は、義一の妻であり、同岸本義輝、同阿部明美は義一の子であり、義一の損害賠償請求権を法定相続分に従い相続した。
4 損益相殺
本件事故により発生した損害に関し、原告らは自賠責保険から二五〇三万円の支払いを、被告らから五〇万円の支払いを受け、合計二五五三万円の損害が填補された。
二 争点
1 老齢厚生年金の逸失利益性
(原告らの主張)
厚生年金保険法(以下「厚生年金法」という。)による老齢厚生年金は、一般の民間労働者についての年金制度であり、労働者の一部拠出金をもとに、一定年限被保険者経過後の老後の損失補償及び生活保障を目的とする。最高裁昭和四一年四月七日判決(民集二〇巻四号四九九頁)は、恩給について本人死亡による恩給受給権の喪失について逸失利益性を認めており、また、最高裁昭和五〇年一〇月二一日判決は、地方公務員など共済組合による退職年金受給権の喪失について逸失利益性を認めている。厚生年金については、名古屋地裁昭和五九年一一月二八日判決(交通民集一七巻六号一六三八頁)、宮崎地裁昭和五八年九月二六日判決(同一六巻五号一二三七頁)、水戸地裁昭和五六年二月三日判決(同一四巻一号二二九頁)がいずれも逸失利益性を認めるところである。厚生年金保険は、加給年金制度など生活保障的側面があつたとしても、公務員共済制度などとの本質的な相違はなく、前記各最高裁判決の趣旨からみても、逸失利益として扱われるべきである。
(被告らの主張)
老齢厚生年金受給権は、厚生年金法に規定されているところによつて発生するものであるところ、同法により規定されている目的、性格、受給資格、受給要件、喪失事由、特に本人死亡後は、遺族年金が支給されること等総合して考えると、その本人年金受給権は受給権者本人の生活保障を目的とする一身専属的権利であり、相続の対象とならず、逸失利益性も否定するのが相当である。
2 扶養を受ける権利の侵害
(原告らの予備的主張)
仮に老齢厚生年金の逸失利益性が否定されたとしても、原告照子は義一の妻であり、同人の扶養家族として生計を同一にし、その扶養を受けるべき地位であつたところ、本件事故により義一に支給されていた年金を基礎として、扶養を受ける権利を奪われた。右扶養を受ける権利の侵害による損害額は、義一が支給を受けていた年金と遺族給付の差額から義一の生活費を控除した金額である三一一六万七六〇八円のうち、原告照子の相続割合を乗じた一五五八万三八〇四円とみるべきである。
3 その他損害額全般
第三争点に対する判断
一 老齢厚生年金の逸失利益性
原告らは、厚生年金法による老齢厚生年金は、一般の民間労働者についての年金制度であり、労働者の一部拠出金をもとに、一定年限被保険者経過後の老後の損失補償及び生活保障を目的とするものであるから、加給年金制度など生活保障的側面があったとしても、公務員共済制度などとの本質的な相違はなく、前記各最高裁判判決の趣旨からみても、逸失利益として扱われるべきであると主張する。
そこで、この点につき検討すると、厚生年金法上、老齢厚生年金制度は、同年金については支給を受けた金銭を標準として租税その他の公課を課すことができるとされていること(同法四一条二項)、受給年金額が在職中の賃金額と在職期間(被保険者期間)に比例していること(同法四三条)、被保険者の拠出する保険料は在職中の標準報酬月額に保険料率を乗じた額とされていること(同法八一条三項)、政府により第三者に対する損害賠償請求権の代位が認められており、同一の事由について損害賠償賠償を受けた場合に政府はその価額の限度で保険給付をしないことができるとされていること(同法四〇条一、二項)など、給与の後払、保険料の支払いに対する対価ないし損失補償として性質の現れとみられる規定がないわけではない。しかし、同制度は、政府が運営主体となり、多くの事業所は加入が強制され、保険料の支払いにつき事業主による報酬からの控除という徴収方法が採用されていること(同法二条、六条、七条、八四条一項)、保険料は加入を強制された被保険者の報酬額に応じて決定されるものの、それに対する給付額は受給権者にその者によつて生計を維持している被扶養者がいる場合には、被扶養者の数に応じて加算されること(同法四四条)、受給権者が死亡すると、老齢厚生年金は当然に消滅するが、その者によって生計を維持していた配偶者や子に対して、遺族厚生年金が支給されること(同法四五条、五八条)、遺族厚生年金の受給権者が死亡したり、婚姻したりすると遺族厚生年金の受給権も消滅すること(同法六三条)などの制度が採用されているのである。してみると、老齢厚生年金は、全体としてみると、被用者の老齢化に伴う所得の喪失・低下という現実に対し、被保険者である被用者、その使用者である事業主及び国家が共同して資金を拠出し、受給権者及びその者によつて生計を維持している家族の要扶助状態に応じ、それに必要な保険給付をするという、損失補償的性質より生活保障的性質が極めて強い年金と解するのが相当であり、同年金は、受給権者及びその収入に生計を依存している家族の生活費に充てられることを制度の前提としており、受給権者の死亡により老齢厚生年金の受給権が消滅し、その後に所定の遺族厚生年金が支給されるのも、実質上、受給権者の生活費分が死亡により必要性を失うため控除され、その控除後の生活費分が遺族厚生年金として支給されるものとみることができる。したがって、老齢厚生年金のうち、受給権者の生活費分は、本件事故がなければその生活費に充てられ、生活費が相当程度まかなえたものと考えられるから、逸失利益を算定する際の生活費控除の割合を決定する際の一事情として斟酌すれば足り、それ以上に、あたかも受給権者が年金により生活費相当分以上の利益を得ており、その利益を喪失したかのような評価をするのは相当ではなく、また、同年金のうち、受給権者と生計を一にしていた者の生活費分は、遺族厚生年金により別途支給されることが予定されているのであるから、これについても事故による利益の喪失を観念することはできないものというべきである。
なお、最高裁昭和四一年四月七日判決が恩給受給権について、同昭和五〇年一〇月二一日判決が地方公務員など共済組合による退職年金受給権について、それぞれ逸失利益性を前提とし、あるいは、肯定していることは原告ら主張のとおりである。しかし、当時と異なり、現在は、国民皆年金制度が実現しており、これらの判決の射程が現在にも及ぶと断定できるかにいささか疑義が残ることはさておくとしても、前者は公務員の恩給、後者は公務員の退職年金という公務員に関する制度であり、その勤務の特殊性に照らし、これら年金が生活保障のみならず損失補償の性質を相当程度帯有するとみる余地がないではなく、少なくとも本件のような老齢厚生年金の場合とは事案を異にするものといわざるを得ない。
以上から、厚生年金法による老齢厚生年金の逸失利益性を前提とする原告らの主張は失当であり、採用できない。
二 扶養を受ける権利の侵害
次に、原告らは、仮に老齢厚生年金の逸失利益性が否定されたとしても、原告照子は義一の妻であり、同人の扶養家族として生計を同一にし、その扶養を受けるべき地位にあつたところ、本件事故により義一に支給されていた年金を基礎として、扶養を受ける権利を奪われたと主張する。
しかし、前述したとおり、厚生年金法による老齢厚生年金は、損失補償的性質により生活保障的性質が強度である年金であり、同年金は受給権者及びその収入に生計を依存している家族の生活費に使用されることを制度の前提としており、受給権者の死亡により老齢厚生年金の受給権が消滅し、その後に所定の遺族厚生年金が支給されるのは、実質上、受給権者の生活費が死亡により必要性を失うため控除され、その控除後の生活費が遺族厚生年金として支給されるものである。したがつて、原告らが主張する老齢厚生年金中の扶養を受ける利益なるものの実質、すなわち、生計を一にしていた者(遺族)の生活費分は、遺族厚生年金により別途支給されることが予定されているのであるから、これについても本件事故による利益の喪失を観念することはできないものと解さざるを得ず、原告らの主張は失当というべきである。
三 損害
1 義一の損害
(一) 逸失利益(請求額三一一六万七六〇八円)
乙第五号証によれば、義一は、昭和四年二月二〇日に生まれ、三ケ枚高等小学校を卒業し、高槻市にある湯浅電池株式会社に勤務していたが、平成元年二月、定年退職し、その後は田畑を耕し、農業に従事し、妻子と共に暮していたことが認められる。本件事故時である平成三年の賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・小学・新中卒・男子労働者の六〇歳から六四歳までの平均賃金が三三三万二二〇〇円であることは当裁判所にとつて顕著な事実であるから、右義一の本件事故当時の収入を金銭に換算すると、少なくとも右平均賃金を下回らないものと推認するのが相当である。
平均余命等を考慮すると、義一は、少なくとも本件事故後九年は労働が可能であったと推認するのが相当であり、また、生活費控除は、同人の家庭環境等を考慮すれば少なくとも三割程度控除するのが相当であるところ、前述したとおり、老齢厚生年金の受給権が義一の死亡により消滅した趣旨及び右本来の控除率がさほど高率ではないことに照らし、行わないものとするのが相当である。したがつて、中間利息の控除につきホフマン方式を採用して義一の本件事故による逸失利益を算定すると、次の算式のとおり、二四二五万二四一八円となる(一円未満切り捨て、以下同じ)。
3332200×7.2782=24252418
2 慰謝料(請求額二六〇〇万円)
本件事故の態様、義一の受傷内容と死亡に至る経過、同人の職業、年齢及び家庭環境等、本件に現れた諸事情を考慮すると、慰謝料としては、二〇〇〇万円が相当と認められる。
3 小計
右1、2の損害を合計すると、本件事故により義一に生じた損害は四四二五万二四一八円となる。
四 相続及び葬儀費用
原告らが本件事故により義一に生じた損害賠償請求権を法定相続分に従い相続したことは当事者間に争いがないから、相続により取得した損害額は、原告照子が二二一二万六二〇九円、同義輝、同明美が各一一〇六万三一〇四円となる。
本件に現れた諸事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある葬儀費用としては、少なくとも原告主張の一〇〇万円が相当と認められるところ、弁論の全趣旨によれば、原告らは、法定相続分に従い、原告照子が五〇万円、同義輝、同明美が各二五万円の費用を負担したものと認められる。
したがつて、右損害を加えた損害合計額は、原告照子が二二六二万六二〇九円、同義輝、同明美が各一一三一万三一〇四円となる。
五 損益相殺及び弁護士費用
本件事故により生じた損害に関し、自賠責保険等により二五五三万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨から、右金員は、原告らの相続分に応じ、原告照子について一二七六万五〇〇〇円、同義輝、同明美について各六三八万二五〇〇円がそれぞれ支払われたものと認める。
したがつて、前記各原告の損害合計額から右既払額を差し引くと、損害合計は、原告照子が九八六万一二〇九円、同義輝、同明美が各四九三万〇六〇四円となる。
本件事案の内容、難易度、訴訟経過、前記認容額等を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、原告照子が一〇〇万円、同義輝、同明美が各五〇万円と認めるのが相当である。
前記損害合計額に右弁護士費用を加算すると、損害合計は、原告照子が一〇八六万一二〇九円、同義輝、同明美が各五四三万〇六〇四円となる。
六 まとめ
以上の次第で、原告らの被告に対する請求は、原告照子が一〇八六万一二〇九円及びうち弁護士費用を除いた九八六万一二〇九円に対する本件事故の日の翌日である平成三年一二月二九日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、同義輝、同明美が各五四三万〇六〇四円及びうち弁護士費用を除いた各四九三万〇六〇四円に対する同日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払いを求める限度で、それぞれ理由があるからこれらを認容し、その余はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 大沼洋一)